「このままで終わりたくない」と、心のどこかで思っているアナタへ
ミス、失敗、敗北、挫折。
人が夢や目標を諦めてしまう理由は、人生の中にいくつもある。
それでも——胸の奥で「このままで終わりたくない」と思っていないだろうか。
また同じ失敗をするかもしれない。
また傷ついて、自信を失うかもしれない。
だから、照れ隠しで「大丈夫」と振る舞っている。
しかし、心の奥底では「こんなはずじゃない」と思ってはいないだろうか。
東京ガス硬式野球部を創部初の都市対抗優勝へ導いた当時のキャプテン・小林勇登さん(以下、勇登さん)も、アナタと同じように失敗や敗北を経験してきた。輝かしい実績の裏で、キャリアを投げ出しそうになったこともあった。
そんな彼が、苦悩とどう向き合い、野球人生を歩んできたのか。そして、都市対抗初優勝の裏側にあった物語に迫っていく。
すべてのカテゴリでチームリーダーを担い続けた稀有な野球人生
2023年、勇登さんは静かに引退の時を迎えた。
「都市対抗が終わってからチームに呼ばれて、『お疲れさん』って言われましたね」
「気持ちとしては、ホッとしました。もう野球をやらないんだっていう寂しさもありましたけど、ホッとした気持ちが一番大きかったですね」
社会人野球の名門・東京ガス硬式野球部は、2021年の都市対抗野球大会で創部初となる優勝を果たした。その時、チームのキャプテンを務めていたのが勇登さんだ。

鍵谷氏(元日ハム)を擁して2008年夏の甲子園出場、駒澤大学では1年からスタメン出場、4年には打率4割で首位打者とベストナインを獲得、東京ガスでもキャプテンとして創部初の都市対抗優勝を飾る、2023年に現役引退、2026年よりコーチとして現場復帰
「都市対抗を優勝してキャプテンから降りた後は、お役御免といった感じでしたね」
そう語りながら、11シーズンにわたる社会人野球人生に幕を下ろした。そのキャリアは、実に輝かしいものだ。小学生の頃から野球を始め、中学では強豪チームに所属し全国の舞台を経験。甲子園全国最多出場校・北海高校では、1年生からスタメンに名を連ね、3年時には南北海道を制して甲子園に出場。
その後、進学した駒澤大学では、全国からトッププレイヤーが集まる中で1年生からレギュラーを勝ち取り、首位打者やベストナインなど数々のタイトルを獲得した。
そして、最も特筆すべきは、所属したすべてのチームでリーダーを担っていたというところだ。誰もが「すごい選手」「生粋のリーダー」と思う、順風満帆な野球人生。
だが、本人の口から語られた言葉は、その印象とは少し違っていた。
「自分がキャプテン向きだとは思わないんですよね。『本当に自分がキャプテンでいいのかな』という気持ちで引き受けてきました」
笑いながらそう振り返る勇登さん。
「でも、キャプテンを任されていなかったら、こんなに長く野球をやれていなかった。キャプテンに選ばれたおかげで、ここまで野球をやれたと思いますね」
さらに、こう続けた。
「立場が人を変えるっていう印象がありますね。リーダーという立場になったからやる。選ばれたからには『やらなきゃいけない』っていう気持ちが出てくるタイプなので。」
「できることならやりたくない」と語るリーダーの立場を力に変え、結果を残し続けた勇登さん。その裏には、今でも忘れられない敗北と、すべてを投げ出しそうになった過去があった。
「このままじゃ終われない」──悔しさで乗り越えた敗北と野球人生の分岐点
数々のタイトルを手にしてきた野球人生の中でも、忘れられない「敗北」がある。
2007年。
春の選抜甲子園を目指し、猛練習を重ねて臨んだ高校2年生の秋。新聞各紙を見ると、勇登さん率いる北海高校は優勝候補筆頭として名前が挙げられていた。

だが、全道大会の結果は0-1。初戦敗退だった。
「『なんで勝てねぇんだよ』『こんなに練習して勝てねぇなんてふざけんな』って思って、すごく悔しかったですね」
試合後には、前代未聞とも言える練習ボイコットが起きた。
「あの試合に負けて、チームで一番悔しかったのは僕だと思うんですよ。僕が一番勝ちたいと思ってた。やり方は、ちょっと反省してますけど」
苦笑いを浮かべながら語るその表情からは、当時の悔しさが今でも蘇ってくるようだった。
だが、この敗北があったからこそ北海高校は翌年の夏、全道大会を制し、甲子園への切符を掴むことになる。
そして、勇登さんは東都大学野球の強豪・駒澤大学へと進学した。
そこには、後にドラフト1位でプロ入りする白崎浩之さん(現西武ライオンズアカデミーコーチ)や、2024年のクライマックスシリーズMVPを獲得した戸柱恭孝選手(DeNA)など、全国からトッププレイヤーが集まっていた。
その中で、1年生からレギュラーを勝ち取る。だが、期待された2年生の春季リーグ戦で、彼の姿はグラウンドではなくスタンドにあった。
「個人としては、あの時が分岐点でしたね」
怪我ではなかった。
「ちょっと気持ちが緩んだというか、野球に対してちゃんと向き合えてなくて、ベンチから外されました。正直、腐りかけてましたね」
順調に見えたキャリアが、初めて大きく揺らいだ瞬間だった。
「『もういいや』ってなってもおかしくなかった。でも、もう一踏ん張りしたって感じですね」
その「もう一踏ん張り」を支えたのは、やはり悔しさだった。
「悔しさですね。『このままじゃダメだ』『このままじゃ終われない』って思いながらもう一踏ん張りました」
悔しい春季リーグ戦が終わり、迎えた夏のオープン戦で巡ってきたチャンス。そこでホームランを放ち、勇登さんは再びスタメンを掴み取る。そして迎えた2年生・秋季リーグ戦で首位打者を獲得するのだ。
「振り返ると、結構浮き沈みがあるんですよね。でも、沈んだままじゃ終わらない。沈んだ後にはドーンと上がるんです」

そんな勇登さんが、大きな影響を受けたとして名前を挙げる人物がいる。
それが、林裕也さん(駒澤大学硬式野球部コーチ)だ。
駒澤大学附属苫小牧高校時代に2年連続で甲子園優勝を果たし、勇登さんの2学年先輩として、当時の駒澤大学硬式野球部のキャプテンを務めていた。
「裕也さんはダメな時でも、一人でずっと練習してたんですよね。結果が出ない中でも、人一倍練習して、『なんとかしたい』っていう気持ちが伝わってきてました」
言葉ではなく、姿勢。教えるのではなく、在り方で示す。そんな背中を見ながら、勇登さんは再び野球と向き合うことを選んだ。
都市対抗初優勝前夜。自信を失い、どん底にいたリーダーに訪れた転機
忘れられない敗北を乗り越え、キャリアを揺るがす分岐点も経験してきた勇登さんは、社会人野球の名門・東京ガス硬式野球部へと進んだ。
「僕が入社してから、6年連続で都市対抗出場を決めてたんですよ」
2019年、いよいよ勇登さんがキャプテンに就任する。そして、2年後の2021年にチームは悲願の都市対抗野球大会初優勝を果たす。だが、頂点に登り詰めるまでの道のりは、勇登さんがこれまで築き上げてきた自信を失うほど苦しく厳しいものだった。

「気持ち的には、かなりヤバかったですね。『廃部になってしまうんじゃないか』っていう危機感がすごくあって」
都市対抗出場を続けてきたチームは、勇登さんがキャプテンに就任してから、まさかの2年連続予選敗退を喫する。
「若い選手たちは都市対抗を経験できない。チームに対しても、会社に対しても本当に申し訳ない気持ちでした」
勝てない責任を一身に背負うリーダーの自信は次第に削られていった。
「落ちるところまで落ちたっていう感じでしたね。チームの雰囲気も最悪でした」
危機感に押し潰されそうになる中、一つの転機が訪れる。2020年、都市対抗予選敗退後に東京都代表として出場するNTT東日本硬式野球部から、補強選手として声がかかった。
(※都市対抗野球大会では、本大会に出場するチームが同地区予選で敗れたチームから最大3名まで借りる「補強制度」が設けられている)
勇登さんにとって、長い野球人生で初めて他チームの選手として戦う経験だった。
「補強で都市対抗に出場できたことが、すごく大きかったですね。この年に、準優勝するんですけど」
勝ち上がるチームに帯同する中で、勇登さんは強烈な違いを感じる。
「『当たり前』のレベルが、全然違ったんです」
都市対抗は、負ければ終わりのトーナメント。
「当たり前のことをどれだけ高いレベルでできるかが、勝負どころでハッキリとした『力の差』として出るんです」
東京ガスでは評価されていたプレーが、NTTでは当然のように行われていた。
「外から見て、自分たちは当たり前のレベルが全然低いなって思いましたね」

そんな中、NTTの選手との何気ない会話の中で投げかけられた一言が、今でも記憶に残っている。
「東京ガスって、あんなにいい選手揃ってるのに何で勝てないの」
この言葉が、失いかけていた自信を呼び戻すきっかけとなった。
「2年間負け続けると、自分たちの実力を信じられなくなっていたんですよね」
「でも、理想的なチームの在り方を間近で見せてもらって、『自分たちは、もっと自信を持ってプレーしていいんだ』って思えました」
都市対抗優勝の前年に訪れた、大きな転機。自チームに戻った勇登さんは、これまであまりとらなかった“ある行動”に出る。その一歩が、東京ガス初優勝という物語の確かな始まりとなった。
「できればやりたくない」リーダーに選ばれ続けた理由と担い続けた想い
自チームに戻った勇登さんは選手を集めた。
「普段はあまり好きじゃないので、ミーティングはやらないんですけど。正直どん底でしたし、負けたら自分の野球人生も終わりだなっていう危機感もあったので」
その場で語ったのは、難しい言葉でも、特別な戦術でもない。
「『腹くくって、思い切ってやろう』そんな話をしたと思います」
チームの雰囲気が変わり、迎えた予選。勇登さんは、チームの最前線で勝利への強い気持ちをむき出しにしてプレーする。

だが、非情にもアクシデントが彼を襲った。
「ランナー三塁の場面でセーフティースクイズをして、必死だったので、そのまま一塁にヘッドスライディングしました」
このプレーで、肩を脱臼。さらに手首も骨折してしまう。それでも、勇登さんはこの時を笑顔で振り返る。
「若い選手が本当に伸び伸びとプレーしてくれて、チームも勝つたびに雰囲気が良くなっていった。予選でヘッドスライディングして、肩を脱臼して、手首を骨折して、僕の仕事は果たしたなって感じでしたね」
2年連続で予選敗退を喫していたチームは、地区第1代表として都市対抗への切符を掴み取る。怪我の影響で、本大会での出場機会は限られていた。それでも悔しさはなかったという。
「都市対抗に出られたこと自体が嬉しかったです。若い選手がどんどん活躍して、チームが勝ち進んでいく。単純に、それが嬉しかった」
勝つごとに強くなっていくチームを見ながら、勇登さんはプレイヤーとしての役目が終わりに近づいていることを、どこかで感じていた。
「そろそろ、自分の役目も終わりかなって」
チームは勢いそのままに、創部初の都市対抗優勝を果たす。その2年後、勇登さんは静かに引退の時を迎えた。長い野球人生を振り返り、最後に残った感覚は、意外なものだったという。
「どっちかというと、自分のことよりチームのことを考えていたかもしれないですね」
プレイヤーとして結果を出したい気持ちはもちろんあった。それでも、勇登さんにとってはチームや組織の向かう方へ、自分も一緒に進むことが大切だった。
「みんなで勝った方が、嬉しいので」
そのために「できればやりたくない」と語るリーダーという役割も、担い続けてきた。

「口で引っ張るのは得意じゃないので、行動で示すことを意識してきました」
「やるべきことをブレずにやり切る。その姿を見せることが、大事だと思ってましたね」
勝負の世界では、勝敗や結果はコントロールできない。だが、その手前にある「野球に向かう姿勢」だけは、自分で選べる。
「結果の手前にあることで、負けることはないようにしたいなって」
そう語る勇登さんを突き動かしてきたのは、これまで味わってきた敗北と、そこから生まれた「悔しさ」だった。
「負けから教わりましたね。全部、悔しさです。勝ちたいっていう、それだけでした」
チームや組織の目標が達成されない現実を、誰よりも悔しがってきた。勝つために必要なことなら、すべてを引き受けようとしてきた。その姿勢こそが、勇登さんがリーダーに選ばれ続けてきた理由なのかもしれない。
編集後記
勇登さんは、2026年1月から東京ガス硬式野球部のコーチとして現場復帰する。
「プロか引退か。大体の選手は野球人生の最後を迎えるわけなので、悔いのないようにやってほしい。そういう意味では、当たり前のレベルを上げたいですね」と意気込みを語った。指導者という立場でも、勝利にコミットする姿勢は変わらない。