HUNDRED WORKERS

インタビュー

3年で終わるはずだった牛来拓都のプロ人生。未来を書き換えた出会いと行動とは

未来の自分が想像できず、「今」に不安を抱えるアナタへ

1877年。
カナダ・モントリオールのマックギル大学で誕生したアイスホッケーは、氷上の格闘技とも称される激しいスポーツだ。

6人対6人。高速でぶつかり合い、削り合い、勝利を目指す。
その激しさゆえ、トップリーグでは数年でキャリアを終える選手も少なくない。そんな厳しい世界で、12シーズンにわたり第一線でプレーし続けた選手がいる。
今回インタビューした牛来拓都さん(以下、拓都さん)だ。

牛来拓都(ごらい・たくと)|札幌市出身
北海高校→明治大学→H.C.栃木日光アイスバックス(2013-2023)→レッドイーグルス北海道(2023-2025)
引退後は王子ネピア株式会社に入社

小学2年生でスティックを握った少年は、34歳まで現役を続けた。
しかし、見方を変えれば、34歳までアイスホッケー以外の世界を知らなかったとも言える。

20代の頃から、セカンドキャリアに不安を抱えていたという拓都さん。

それでも彼は、現役選手が羨むようなセカンドキャリアを掴み取る。
前例のない道を切り拓いたその裏で、拓都さんは何を考え、どんな行動を取ったのか。

現役時代の葛藤と共に、未来を設計するヒントを探っていく。

「通用しない」|初めての挫折とレジェンドとの出会いで変わるプレースタイル

北海道・釧路市。
冬になると、学校の校庭にアイスリンクが現れる街だ。

「朝6時くらいに校庭でホッケーやってから、学校に登校するみたいな生活でしたね」

そんな環境の中、兄とともにスティックを握った。

「小学生の頃には、『将来の夢はアイスホッケー選手』って言っていたと思いますね」夢は、やがて現実味を帯びていく。
中学では全国トップクラスの選手へと成長。憧れだった田中遼選手の背中を追い、北海高校から明治大学へと進学した。

北海高校のOB選手が集まった1枚。憧れの田中遼選手(一番左)は、大学時代の先輩でもあり、寮では同部屋だったという。

自分がゴールを決めないと勝てないっていう気持ちでプレーしてましたね。チームを引っ張らないといけないっていう自負はありました」

その言葉通り、高校時代はインターハイ全国3位。大学では主将を務め、関東学生選手権優勝など、世代を代表する選手として結果を残していく。

そして2013年。
H.C.栃木日光アイスバックスへ入団。プロとしてのキャリアが始まった。

しかし、そこで初めて壁にぶつかる。

「割と順風満帆にキャリアを歩んできていたので、挫折みたいなものはこの時が初めてでしたね」

プロ1、2年目は、ほとんど試合に出られなかった。

「それまではずっとチームの中心として、自分のプレーだけを考えてやってきたんです。でも、全然通用しなくて。あのままだと3年でクビになるような状況でしたね」自分より速い選手、強い選手はいくらでもいた。「自分が主役だった世界」は、通用しなかった。
このままでは終わる。
そんな未来を書き換えたのは、日本ホッケー界のレジェンド・斎藤哲也選手だった。

日本アイスホッケー界を長らく支えてきた斎藤哲也選手との1枚。「人としてもホッケー選手としても成長させてもらった」と語る、拓都さんが尊敬する方だ。

「たまたま同じ年にアイスバックスに入団したんですけど、哲也さんとの出会いがなかったら、こんなに長く選手としてやれてなかったですね」

試合後、よく食事に連れていってもらったという。

「感覚じゃなくて、理論に基づいてホッケーを教えてくれたんです」

ロジカルで、具体的で、そして厳しい言葉。それらを受け止め、拓都さんはプレースタイルの変更を決断する。

「すぐに結果になったわけじゃないんですけど、トライ&エラーを繰り返しながら少しずつ変わっていきましたね」

ゴールを決めたい気持ちはある。それでも、仲間を生かす。相手が嫌がる泥臭いプレーを続ける。
派手さはなくとも、信頼を積み重ねるプレーへと舵を切った。

「アイスバックスでは3人の監督のもとでプレーしましたけど、しっかり信頼を獲得できたと思っています」出場時間であるアイスタイムは着実に伸びていった。
こうして、3年で終わるかもしれなかった未来は、静かに書き換えられた。

訪れた終わりと新たに灯る赤い光。そして、リンクを去るその時

派手さはなくとも、仲間を生かし、泥臭いプレーも厭わない。
チームにとって欠かすことのできない存在として、監督やチームメイトからの信頼を積み上げていった拓都さん。

2014年、2019年の2度にわたって全日本アイスホッケー選手権大会優勝を経験。

第82回全日本アイスホッケー選手権大会優勝時の1枚。

3年で終わるかもしれなかった未来は、気付けば10年目を迎えていた。
しかし、現実は突然やってくる。

「その年のシーズンオフに、クビになったんですよ」

家族がいる中でも、厳しい世界に生きる者として受け入れるしかなかった。

「もう現役としてはできないと思っていたので、普通に就職活動をしていました」そんな時、一本の連絡が入る。
レッドイーグルス北海道からのオファーだった。

2020-2021シーズン終了とともに95年の歴史に幕を下ろした「王子イーグルス」は、2021年より「レッドイーグルス北海道」として新たなスタートを切る。多くの日本代表選手を抱え、日本のアイスホッケー界を牽引している。

「辞めることを覚悟していたので、ありがたかったですね。アジアリーグで優勝できていないことが心残りだったんです。イーグルスならその夢を叶えられるかもしれないと思って、断る理由はありませんでした」

チームの半数以上が日本代表選手。
アジアリーグ屈指の戦力を誇るチームだった。

それでも、やるべきことは変わらない。

「アイスタイムが減ることは覚悟していましたけど、しっかり試合に出させてもらえました」

環境が変わっても、積み重ねてきたものは揺らがなかった。

「地元・北海道ということもあって、親やこれまでお世話になった人たちにプレーを見てもらえる機会が増えたのは嬉しかったですね」

高校時代の仲間とともに撮った1枚。同級生の元日本ハムファイターズ・鍵谷氏と同じ背番号「30」を背負い、プロの世界で戦い続けた。

そしてイーグルス2年目。
なんとゴール、アシストともにキャリアハイを記録する。
夢だったアジアリーグ制覇も、あと一歩だった。

翌年のリベンジを誓い、迎えたシーズンオフ。
再び、戦力外通告を受ける。

「身体も動いていたし、自分ではまだできると思っていたんですけど」あの時と同じように、現実は突然やってきた。
そして、拓都さんはリンクを去る決意をする。

自ら掴んだセカンドキャリア|未来を書き換えた思考と行動

キャリアハイを記録した、そのシーズンオフ。
2度目の戦力外通告を受けた。

「アジアリーグで優勝できなかったことは心残りですけど、しょうがないですね」

現役生活に区切りをつけ、新たな道を歩む決意をした。
しかし、その決断は突然生まれたものではなかった。

「実は20代後半から不安な気持ちはあったんです」

セカンドキャリアへの不安は、アスリートにとって避けて通れないものだ。

引退後の家族ショット。インタビュー中にも拓都さんの隣を離れない子どもの姿を見ると、ファンだけでなく家族からも愛されていることを感じさせる。

辞めたら社会人として本当に働けるのだろうか。アイスホッケーしかしていない自分がやっていけるのか。ずっとそういう不安はありましたね」

それでも、その不安から目を背けることはなかった。

「ちょうどコロナ禍で時間があったので、勉強を始めました。会社員でも自営業でも、必ず必要になると思ったので」

アイスバックス時代、練習が制限されていた時期に簿記2級を取得。
さらにイーグルスでは、全選手が受験したSPIテストで2年連続チームトップの結果を残した。

「1年間、コツコツ勉強して宅建も取りました。不動産業界に行きたいと思っていたわけではなくて、いつか何かに使えるかもしれないと思っただけです」

夢だったアイスホッケー選手としてのキャリアを追いながらも、現実から目を逸らさない。
その姿勢は、現役生活と変わらなかった。

「スポンサー企業さんや、これまでの人との繋がりを活かせば、選択肢はあったと思います。でも、与えられた中から選ぶのではなく、自分で掴みたかったんです」3年で終わる可能性があった選手生命を12年まで伸ばしたように、セカンドキャリアも自らの力で書き換えようとしていた。

「何もしなければ、それまで。でも、行動すれば選択肢は増えると思っていました」

同級生とともに鍵谷氏の引退試合に駆けつけた拓都さん。北海高校時代の仲間は特別な存在だと語る。

そして、その行動が新しい道を生む。

「プロ契約の選手としては初めてのセカンドキャリアだったので、後輩たちに一つの道を示せたのかなと思っています」

レッドイーグルス北海道は、王子製紙の実業団チームをルーツに持つ。
現在も社員選手とプロ契約選手が混在している中で、プロ契約選手として王子グループ企業への就職が決まったのは、拓都さんが初めてだった。

『誰でもよかったわけじゃない。牛来君なら会社の利益になると思った』と言ってもらえた時は、本当に嬉しかったですね」それは、与えられた道ではない。
自ら選択肢を広げ、掴み取った未来だった。

「継続力」が書き換えた未来は、氷上からビジネスへ

拓都さんに、未来を書き換え続けられた要因について聞いた。

「なんだろう。難しいですね」これまでテンポよく続いていたインタビューの中で、初めて言葉に詰まった。
しばらく沈黙が続いた。

試合終了後、ファンに手を振る拓都さん。

そして、静かに口を開く。

「継続力ですかね」

「苦しい練習はたくさんしてきましたけど、一度も“やらされている”と思ったことはないんです。表向きには『努力した』って言いますけど、本当はそう思っていなくて」

未来を切り拓いてきた歩みは、紛れもなく努力の積み重ねだ。
それでも、本人はこう語る。

「ホッケーも勉強も、全部自分のためにやっていると思っているので、努力している感覚がないんです。だから続けられているのかもしれません」

努力を努力と思わない。
すべては自分のためだと信じ、続ける。
その姿勢は、現役時代も、セカンドキャリアの準備も変わらなかった。

今、拓都さんは王子グループ企業の一員として、フィールドを氷上からビジネスの世界へと移している。

「スター選手ではなかったですけど、それなりに結果を残すことができました。だからこそ、ビジネスの世界でも一流を目指して、目の前の仕事に向き合っていきたいと思っています」

インタビュー時にも何度か語られた家族への想い。現役時代と変わらず、新たな道を歩む拓都さんの大きな力になることだろう。

挫折も、不安も、すべて自分の糧にしてきた。

その先にあったのは、与えられた未来ではない。
自ら掴み取り、未来を書き換えてきた人生だった。

「スポーツの世界では継続力を発揮することができたので、ビジネスの世界でもその力を発揮できるよう頑張ります」

継続は、最も地味で、最も強い。
スポーツの世界でそれを証明してきた彼は、これからビジネスの世界でどんな未来を描いていくのか。

その答えは、きっとこれからの行動の中にある。

編集後記

現役生活を振り返った際、最初に出てきた言葉は、「こんなに長くプレーできると思っていませんでした」だった。
身長174cm。決して大きくない体で、12シーズン。その歩みだけでも十分に価値がある。さらに驚いたのは、現役の合間を縫って勉強を続け、簿記や宅建といった資格まで取得していたことだ。
未来への不安から目を背けず、行動を続ける。その姿は、アスリートである以前に、一人の挑戦者として強く印象に残った。氷上からビジネスの世界へ。フィールドは変わっても、彼の挑戦は続いていく。この先、どんな未来を描いていくのだろうか。

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